上の画像は、京都市内の建造物に貼り付けられている鳥居の模型である。「さすが京都、こんな装飾物が」と思うなかれ、これがどのような機能を果たしているか京都の人間であればすぐに理解できることだろう。
これを京都人が見れば、「立ち小便をさせへんためや」と考える。経験上、画像のような立体的な模型の他に、簡素な鳥居の図形が描かれていることもある。
その他、犬の糞害や違法駐輪を防ぐ効果もあるという。つまり、神様の面前であることを恥じさせ、非常識な行動を抑制するのだ。そして、この効果はが絶大であるから驚きだ。
見る・見られるの間には権力が働いているよなーと最近よく思います。フーコーがいうところの規律権力っていうやつでしょうか。
神は人の行いを見ることができるが、人は神を見ることはできない。
しかし、人はしばしばそのことを忘れます。もしくは気づかないふりをする。で、それを思い出させてくれるのが、上記の鳥居ってわけですね。何か悪さ/迷惑行為をしようとしても、神様が見てますよ、と。
信心深さ/信仰心なるものは昔に比べればずっと薄まったように思いますが、それでもあえて目に見える形にされると効果は大きいようです。
権力が内面化されていて、自発的にそれに従うようになっている。
現代では犯罪抑止のために至るところに防犯カメラが設置されています。神の目という内面化された権力が弱まってきているから、このように監視が外部化しているのかもしれません。(参考→環境管理型権力)
こう考えると、人間は常に監視がないとやっていけないのかもとふと感じた次第。
Technorati Tags: 監視社会
前の記事: なぜ新聞は読まれなくなったか
次の記事: シュナッピー(Schnappi)

